お施主様との巡り会い
田舎でしか見られないような立派な日本家屋を建てたくても、もう既になかなか建てられなくなってきている。建設会社や工務店からは技術が失われていて、大工にも技能が伴わないからだ。
ジュウケンの建てた立派な日本家屋を見ると、多くの人が感動するし、そのたたずまいを「美しい」と思うはずだ。お客様は、諏訪郡~伊那・上伊那郡~飯田・下伊那郡にまで広範囲に及ぶ。皆様が「ジュウケンに建ててもらいたい。」と依頼してくれたお客様ばかりだ。「今まで、営業マンを置いたことがない。」にもかかわらず、お施主様がまた新たなお客様を連れて来てくれるのが特徴だ。
「ジュウケンは”巡り会い”で支えられたとつくづく思う。創業以来、ずっとお客様に恵まれて来た。」そう伊藤社長は語る。
二人の親方
16歳で大工の道へ入った。大工をやりたかったわけではないが、従兄の誘いで親戚でもあった塩尻市の親方に付いた。
親戚とはいえ厳しい親方で、大人しい少年だった当時の社長にとっては辛かった修行時代だったようだ。「怒られていることが、何で怒られているのかわからない辛さったらない。」そう当時を振り返る。それでも負けず嫌いな性格と、大工が性分に合ってもいたようだ。親方も腕前の才能は見込んでいたに違いない。
やがて地元に戻って2人目の親方に付くのだが、一転、この親方は神様仏様みたいな親方で、しかも超一流の技能の持主だったそうだ。優しく、そして納得できるように細かく丁寧に教えてくれたと言う。いつか独り立ちした後にも、生き延びていく心得を教えてくれた。
こうして、厳しく仕込まれた小僧時代と、優しく技能を授けてくれた武者時代を経て「伊藤住建」で独立、やがて「有限会社ジュウケン」として現在に至っている。この道一筋52年間も続けてこられたのは、自身の技能が優れていたことはもちろん、二人の親方にも恵まれていたと感謝している。
貫く信念「長尺軸組通し貫工法」
創業以来、一貫して守り抜く工法がある。「長尺軸組通し貫工法」(ちょうじゃくじくぐみとおしぬきこうほう)だ。
広く一般的な在来工法は「間柱工法」(まばしらこうほう)と呼ばれ、柱と柱の間に細い柱を立てて筋交い(すじかい)を入れるのに対し、ジュウケンの工法は①4寸角の長い桧柱を軸組とする。②柱と柱の間に貫(ぬき)を差込み、横に通す。③更に筋交いを入れる。というものだ。在来工法で構造の決め手となるのは、「材木の量と質」だという。この工法により断然頑丈な家になり、耐久性と耐震性が飛躍的に向上する。
頑丈な構造の骨組みが、地盤対策を施した強固な基礎の上に乗る。ジュウケンの家は100年先、150年先を当り前に視野に入れているのだ。
「100%大丈夫ですよ。」とお客様に言えるように、実は付加を加えた125%分の家を提供している。手間もコストもかさむことだが、信念としてこの工法を変えるつもりはない。
快適さ「WW工法」
阪神淡路大震災や東日本大震災より数十年も前から、長野県南部は「東南海地震」への備えが必須とされ、地震に強い家が当然とされてきた。ジュウケンの強固な基礎と「長尺軸組通し貫工法」は木材で作る家としては最高の安全性を追求したものであるため、安心して暮らせる。
しかし、そこに信州の厳しい冬を快適に過ごせる”快適さ”を加えるのは意外と難しい。その答えがジュウケンが採用している二重断熱「WW工法」だ。「何とか、暖かい家をつくりたい。」多くの工務店が気密性を高めて断熱材を多用してきた。しかしこれは”結露との戦い”である。「家が結露しては、100年・150年持たない。」のだ。
そこで、20年前から採用したWW工法は本当に良いものだと伊藤社長は言う。「どうして伝統建築は今でも風雨に耐えて建っているか?そこには先人の技術と、適材適所に使い分ける木材の見極めがある。プラス現代の技術を加えた日本の家づくりをしたいと考えている。」
ZEH=ゼッチ(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)にもジュウケンは2年前から設計者とコラボして取り組んできた。在来工法ならではの難しさもあるため、ハウスメーカーに比べれば遅れはあるものの、「WW工法」が非常に理に叶った工法でもあるようだ。すでに何棟かのZEH住宅の建築実績があり、問題もクリア―しているため、今後も基準以上のものを目指していくという。
自信の裏付け
修業時代の教えがある。それを実践し、お客さんには人と違ったものを提供したいと常に考えているそうだ。
「仕事は早くきれいは当たり前。何かひと手間をかけることが目に留まるし、お客様が自分の家は此処が違うと誇りを持ってもらえれる所。」予算の中ではあるが、出来るだけお客様のイメージに添ったひと手間をかければ、「これだけの事をしてもらって大満足!」と思っていただけるならうれしいし、「さすがジュウケン!と思われたい。」そこには自信の裏付けがある。
「うちは誰にも負けないという自負と自信。」「人と同じことをやっていても生き残れない。」という修業時代の教えである。
ゴルフ
熱中しているゴルフの話には自然と顔もほころぶ。以外にも、本格的に始めたのは60歳になってからだそうだ。きっかけは「健康」と言うこともあるが、「たまには息子たちに任せておいて、家から出てみないか…?」という友人からのアドバイスを受け入れたことがきっかけだそうだ。ご本人も「60歳まではがむしゃらで、ガツガツしていた。」と言う。ところがゴルフ仲間はパープレーの人ばかりで最初は面食らったそうだ。しかし、持ち前の負けん気と、手先の器用さが活きたに違いない。
1年足らずでたちまちスコアは100を切った。今も月に2回程度をラウンドするそうだが、「仕事は限界まで追い詰められた方が良いが、ゴルフでは無理はしない。」のだそうだ。お決まりの会員コースよりは、色々なゴルフ場に出向いて、様々なコースレイアウトを楽しむのがお好きな様子だ。
次世代がジュウケンを受け継ぐ
ジュウケンは2人の息子さんが後を継ぐ。現在は45歳と40歳、そして従業員の職人46歳の計3人がいる。
3人とも今を時めく働き盛りで、技術も高く脂が乗った大工だ。「皆、粒ぞろいでジュウケンは今が一番充実している。」と自信を覗かせる。「若い3人がモノになるまでは大変だった。」というが、そこは師匠の技量で弟子を育てたのだろう。
かつて伊藤社長は40代後半~50代にかけて”技能オリンピック”の技術指導員を6年間務めた経歴がある。かつての技術指導員が、自社の3人の職人に自信を持っているのだからすごい財産をお持ちなのだと思う。
それでもかつては、高校を卒業するとすぐに家へ入れてしまった息子たちの事を案じた事もある。「井の中の蛙になってしまわないだろうか?」しかしそれは杞憂に終わり、息子さんたちは大工として成長するにつれ、様々な他所の現場を多く見るにつけ「うちは違うな。」と確信を持ったそうだ。
「うちの会社の仕事には自信が持てる。これからもジュウケンのスタイルを守りたい。」本人たちがそう言った言葉は喜びと安堵感と期待感を与えてくれた。
「会社も40年以上やってきたので、お客様がリフォームを必要とする時代を迎えている。お客様の家も、息子さんの代が受け継いでもらっている時代。当社も2代目が会社の中心になっていくので是非ご要望にお応えしたい。」さらに、「自分たちで建てた家は記憶もあるし、安心してリフォームが出来る。」とも。
「もちろんローコスト住宅もやりますよ!」だそうだが、特筆すべきは、ジュウケンのような本物の日本家屋を、実は若い2代目世代が建てているというのは、何とも心強いものだ。
text/ Photo Kobayashi