鈴木さん、仕事してる?
不動産会社には、どんなイメージをお持ちだろうか? 「駅近か商店街に店舗を構え、窓ガラスに物件を貼りだして来店客の対応?」。決して間違いではないが、それはほんの表面に過ぎない。
不動産仲介業の仕事量は大変なもので、売主や貸主との折衝、物件現場と周囲の調査と写真撮影、販売図面の作成、インターネットや広告の手配、工事関係者との打ち合わせ、金融機関との折衝・司法書士の手配・法務局や市町村役場での調査と手続き、お客様交渉と契約書類の作成、契約、電気ガス水道の手配、そして来店対応とネット・電話の対応…等々。緻密で、且つ行動力が求められる仕事なのである。
長野県伊那市に事務所を構える中央不動産は、鈴木社長が代表取締役を務める。さて、今日の鈴木社長はというと「…?、明日は…?」。ご本人も「鈴木さんって、仕事してる?」と、よく言われてしまうそうで苦笑い。
その通りで、一見すると他人には不動産仲介業とは無関係な事ばかりをやっているように映ってしまう。しかし実際は独自の「新たな2つの仲介事業」を実践中であり、当然のごとく、それらは本業とも密接に連動しているのである。鈴木社長ならではの取り組みの核心に迫る―。
インターネットで変化した不動産仲介
インターネットの普及で業態が変化してしまった職種は多い。旅行会社やホテル旅館業に並んで、実は不動産仲介業もその代表格である。
チラシや雑誌から得た物件情報を手に、不動産会社を渡り歩くなどの行動パターンはすでに過去の物となった。ユーザーは、今よりもっと多くの情報量をネット上で望んでいる。満足が得られる程のデータ量をネット上に望むということは、不動産会社は頼らなくても済むという裏返しである。「不動産会社が物件の仲介をするなんて、5年~10年後には必要が無くなる。これからの不動産取引はメルカリ感覚(=オンラインで完結してしまう)になっていく時代が来る。」とは鈴木社長の考えだ。法務局への登記さえも将来はネット自動化されるかもしれない。そんな時代になっても、中央不動産が在り続ける意義を確立しておかなければならない。その危機感が、鈴木社長にはある。
「地方の人口は既に大きく減少を続けており、不要な不動産が増えて不動産価格も下がり続けている。不動産会社も要らなくなる。」のだ。そこで鈴木社長は、本業である「仲介業」という仕事の延長線上に、独自の2つの仲介を新たに加えて実践し始めた。
①時間軸の仲介「相続・事業承継」
まず1つが、「時間軸の仲介」と定義した「相続・事業承継」のコンサルティング事業である。
これには、鈴木社長自らの経験が大きく影響している。
中央不動産の先代社長は突然の他界であった。鈴木社長は娘婿の立場もあり、コミュニケーションは必ずしもスムーズにはいかなかったようだ。社長を引き継いでからは「先代とは、生前にもっと互いに話し合っておけば良かった。」と痛切に実感することが多かった。「相続・事業承継をきちんと問題提起して正しく行ってなっておけば、多くの企業の為になる。」「トラブルになってから弁護士に頼るばかりが解決方法ではない。不動産屋の私だからこそ、事業継承の役に立てることに気が付いた。」そうだ。ライフプランナーや不動産コンサルティングマスター、相続税対策専門士などの資格を取得した。そうして司法書士とのタッグで「相続相談会」を定期開催するに至った。
どこの企業も経営者個人も、複数の不動産を所有しているケースは多い。生前にきちんと相続や事業承継の処理を託しておくことは、代えがたい安心である。中央不動産は多くの企業や経営者から信頼を得て、独自の不動産仲介業の分野を切り拓いている。
②平面軸の仲介「移住・二地域居住」
もう一つが「平面軸の仲介」だ。鈴木社長が「田舎と都会を結ぶ」仲介役になることで、独自に「移住・二地域居住」を目指す取り組みだ。
従来の目標であった田舎暮らしや別荘暮らしの「定住人口」を呼び込もうとしても、不動産会社が独自で何かをするには行き詰まりがある。都会の暮らしから完全に離れてしまうのはためらう人も多いのが現実だ。待っているだけでの不動産仲介業では仕事に結びつかないのであろう。ならば伊那に来てもらうイベントを提供することで、伊那を知ってもらい「交流人口」を増やそうと鈴木社長は考えた。
「交流人口」という言葉は馴染みがないかもしれない。観光客もこれに含んで良いのだが、もっと正確には何度も再訪してくれる人たちのことである。そこで、独自開催の定期読書会や定期セミナーを企画しては、他県からの参加者を集めている。得意のSNSも大いに活躍してくれる武器だ。2回目3回目と訪れてもらうことで、伊那での知り合いも出来てくるし、馴染みや愛着も高まる。そしてその人を介した別の人がまた、2回3回と伊那に来るようになる。長期的な取り組みかもしれないが、実は「交流人口」を増やす取り組みがやがて「定住人口」になってくれると鈴木社長は確信を持っている。「私が伊那に移住してきた人間なので、伊那の魅力は誰よりも理解している。」だからこそ、確信をもって打ち込めるのだと言う。
「交流人口」と呼ばれる人たちがもし、「もっと違う生きがいもアリかな?」と思ったら、現実的な都会と伊那との「二地域住居」を提案したいそうだ。その方がリスクも減らせる。伊那は不動産が安いので都会と伊那の2か所に住居を持つ事ができる。すると人生の楽しみは3倍にも4倍にも豊かになることも伝えていきたいそうだ。
国際交流への夢
鈴木社長は当初から不動産の道を志していたわけではなかった。出身も愛知県で、東京の大学に進学していた頃には「国際交流」に興味があった。
大学卒業後は海外留学をしてから、然るべき進路に就くはず…だったし、一流大学卒出身の彼には許された夢であったであろう。しかし進路を決める大切な時期にレールに乗り損ねてからは二度と、望むような光輝くレールは彼に用意されることはなかった。
「阪神淡路大震災」では通訳を兼ねて半年間をボランティアに捧げたこともある。それほどのスピリットが彼の中にはあったのだが、28歳の結婚を機に国際交流の夢も終わりを迎える。現在の会社に入社することと、伊那へ移住することの大きな転機が訪れたことで夢は諦め、現実を歩むこととなった。
夢と現実は同じライン上にあった
伊那に来て間もなく20年を迎えようとしている。50歳が近づけば様々な転機を感じ取るであろうし、広い視野を持てるのであろう。
「相続・事業承継問題」は、中小企業が多くを占める地方経済にとっては大きなテーマだ。これに取り組む意義は実に大きい。
「交流人口」も、他県の人が伊那の魅力を掘り起こしてくれ、交流が生まれることに期待している。その中から「定住人口」に結び付いてくれる人が出てくるに違いないと、伊那のポテンシャルには確信を持っている。
かつての「国際交流」は叶わぬ夢だったかに思えるが、「人と人」「人と場所」との仲介役を果たす仕事だとすれば、現在の不動産仲介の仕事であっても理念は同じではないだろうか?鈴木社長の持って生まれた「本質」とは、仲介役を担うことなのだと思う。だから、かつての夢は途切れていた訳ではない。夢と現実は同じライン上にあった。
text/ Photo Kobayashi