根っからの営業回り
「薬箱を置いていただいているお客様には、皆さんが健康で長生きしてもらいたいよね!」
そう語るのは、長野県伊那市で配置薬(置き薬)の会社を経営する「株式会社アルプスメディカル」社長の深津博行氏53歳。真っ黒に日焼けした顔は、さぞかし外回りで苦労しておられるのかと思いきや、趣味の海釣りのせいだそうでアララ…。しかし、今でこそ社内勤務で実務と営業マンのサポートに徹しているが、ここに至るまでの30年間は、コツコツと家を回って薬箱を置いてもらい、数千件に達したお客様への定期訪問を行ってきた。この道一筋だ。
営業が苦手な人は「断られるのが嫌」と言う。精神的にも前へ進めなくなるのだ。その点で深津社長は才能がある。「私は断られることが何とも思わない。」そうだ。根っからの営業回りの性分なのであろう。社内勤務だけではエネルギーを持て余しているかのように見える。
置き薬という仕事「先用後利」(せんようこうり)
置き薬の歴史は古い。きっかけは江戸時代の、とあるエピソードが発端であると云う。
元禄3年(1690年)、富山藩の前田正甫公が参勤交代のために江戸城に登城した際、福島の秋田河内守が腹痛で苦しむ姿を目にする。正甫公は帯の印籠から「反魂丹」を取り出して飲ませたところ、腹痛はたちまちに癒えたそうだ。これに驚いたのは周囲にいた諸国の藩主たちだ。自らの領内でも「反魂丹」を広めてくれるよう正甫公に頼んだ。
富山の行商人が「反魂丹」を諸国に広めたが、各地の大庄屋へ配置する際には「用を先に利を後にせよ」という正甫公の精神に従った。これが、現代まで続いている置き薬の画期的な販売システム「先用後利」である。代金は、服用した薬代のみを受け取るというものだ。置き薬が生活に密着している理由の一つがこれに尽きる。「使わなくても、万が一必要な時に薬が家にはある。」安心を売るのも仕事だ。深津社長は歴史ある置き薬の仕事に誇りを持っている。
アルプスメディカルの薬・健康食品が優れている理由
アルプスメディカルの薬箱には特徴がある。「富山には薬メーカーが多数あるが、その中から各メーカーの看板商品ばかりをラインナップさせている。」長野県内では配置薬会社のリーディングカンパニーと言われる理由だ。
「見たことも聞いたこともない薬ばかりではないか? これで効くのか?」と言うなかれ。ご心配は無用だ。薬は配置薬専用なために、店頭にも並ばないしCMにも登場しないが、生薬が多かったり含有量が多い薬ばかりなのである。「薬屋さんの言う通り、使ってみたら良く効いた!ありがとう!」「この薬じゃないとダメねぇ!」と生の声をもらう。この言葉が一番うれしいと深津社長は熱っぽく語る。良薬を提供している自信は確信へと変わり、お客様との信頼関係は年を追うごとに強まる。
健康食品も「当社の商品は侮れないものばかり。」だそうで、深津社長の説明も熱を帯びて饒舌だ。「青汁」一つとっても「マズーイッ…!じゃダメでしょ、おいしく作らなきゃ。」全くである。「お美味しくて、健康を実感できる高含有量の商品じゃなくちゃ!」「世の中の売れている商品があるんだったら、それよりももっと含有量を多く入れちゃえよ!って。お客さんに喜んでもらいたい!」
「定期訪問するから、間違った商品は持って行かれない。」のだ。どの商品もリピート率が高い。
商品力が高ければリピート率も高い。「良く効いたから、またちょうだい!」と言われれば働く側もやりがいが湧く。どこよりも良いお薬と健康食品を提供して、アルプスメディカルがお客様の健康に役立つ。お客様が健康ならば、また商品を購入してくれる。アルプスメディカルとお客様との関係こそが好循環スパイラルで健康的だ。
ハングリーな性格
大学に在学中から商売を始め、ブランド物のショップを開店するほどだった。それ以前は東京ドームの前身である後楽園球場でホットドッグの売り子をしていた。東京出身の深津社長は高校生になると後楽園球場でアルバイトを始めたのだが、「時給が決まっているのが嫌で、売り子ならばやっただけ稼げる。」それが理由だった。ハングリーな性格は既にこの時代から顔をのぞかせていたようだ。
大学卒業の頃には「稼げるから。」が魅力で、早々と置き薬の世界へ飛び込んだ。前述の才能は、顧客の新規開拓に大いに発揮し、一気に自分のポジションを確立していった。才能ある者は、能力を開花させるのに数年も要さない。昭和63年には既に独立。若干23歳の若さであったが、大学時代からブランドショップを営業していた彼にとってはさほど大きな出来事ではなかったのかもしれない。
新天地の長野県へは2年後の平成2年に進出。最初は箕輪町で開業したが、言うに及ばず新天地では苦労をした。仲間が頼って来たことで急な従業員も抱えてしまったし、「先用後利」のシステムは時間を要した。初めに資金が必要だし、薬箱は置いてくれるものの、いざ使ってくれるまでには数か月かかってしまう土地柄だった。知人もいない、地の利もない、自分を信じてやるしかなかった。中古車の軽で回りに回って、帰ってきてからも翌日に持って出る薬箱を深夜まで作った。休日などは当然なかった。
たった1台だった軽自動車が、今では20数台が社屋の敷地に並んでいる。力を注ぎに注いだ長野県がアルプスメディカルの本社となり、長野県伊那市が深津社長の地元になった。
やりがい
深津社長は今、「社員にもっと稼いでもらいたい!」との思いが強い。「なぜ、もっと稼ごうと思わないのか?他の置き薬の会社より、はるかに稼げる会社なのに…。」「日本で一番給料が高い置き薬の会社」を達成させるのが目標なのだと言う。
「30年間で培った私のノウハウで、一人一人に合わせたサポートを全力でしたい。」夜が遅い業界にもかかわらず、アルプスメディカルだけは例外だ。「効率良く回って。遅くまで仕事をしちゃだめだよ!」の声が飛ぶ。忙しいだろうからと、営業マンには会社が昼食の弁当を支給している。そして何より、どこの配置薬会社よりも良い商品を営業マンには持たせてあげている。
「社員の稼ぎになると思えば何でもやってみたい。」強すぎるその想いは、もはや公私の区別もない…全力だ。「楽しみを持ってもらったらどうだろう?」と思えば、「目標達成で鰻を食べる会」を企画したり「社員旅行は海外にしよう!しかも年に2回行っちゃおう!」を挑戦中である。「プライベートでも、社員交流が必要」と思えば同好会を会社が援助する。社長自身もフィッシング同好会を結成中である(高級釣り道具を無償貸与)。
子供の頃から釣り好きな深津社長は、渓流~海と、ひと通りをやったそうだ。今では海釣り専門との理由も、海の魚だと社員に分けてあげられるからなのだと言う。社員に喜んでもらおうと、いつも高級魚狙いだ。
週末に船が出せる天気ならば、必ず釣りに出かけるほどの熱心さは、「好きな事はとことんやろうぜ!」のメッセージにも聞こえてくる。欲しかったコルベットを買っても、社員に隠さず会社へ常駐させておくのも社員へのメッセージに想えるのだ。「頑張れ!クルマくらい欲しけりゃ、君はいくらでも買えるんだぜ!」と。
text/ Photo Kobayashi